2018/10/12

青山学院大学礼拝 集え、嫌われ者たちよ

学生になって5年目、そして4年生の後期に入ってなお30単位も残している息子を持つお題の大学の学生の母親です。

たぶん、かつての関野先生よりスゴイ息子です、ハイ。

10月6日に英神父様の講演会のあった場所は日本福音ルーテル東京教会でした。
関野先生の所属される教会です。
以前に一度お会いして、その後覚えてくださっていて(ありがたいです)、講演に行った時も真っ先に
「来週また相模原(キャンパス)で礼拝があるんですよ」
とおっしゃるのでうれしくなって調子に乗っていってまいりました。

お題はこちら↓でした。

青山学院大学礼拝 集え、嫌われ者たちよ

わたしにぴったりー、と思ったのですが、どうしてどうして、ある意味では非常にぴったりでもありますが、私にとってはものすごくヘビーな内容でした。
30分の礼拝とは思えないくらい、正直堪えました。

徴税人マタイとはどんな人物か

今まで何度も聖書を読んできましたし、ほぼほぼ毎日読んでいます。
徴税人マタイの回心は普通にとても好きな話でした。
イエス様はどんな人でもお救いになる、回心に導かれるんだーと読むたびに思っていました。

しかし、先生のお説教の中で

「徴税人とは今でいえば税金取りですが、それだけじゃなくて、搾取する人、お金のない人からお金をまきあげる、闇金の取立人のような人」

という言葉を聞いて、心が硬くなりました。
なぜなら、私の母の人生の最後のほうは闇金に追われていたからです。

闇金に対する激しい嫌悪感

その借金は母がしたのではなくて、父との離婚後再婚した男性が母名義でお金を借りて、自分は雲隠れしたのです。
取立は当たり前ですが執拗で、母は家にいられなくなりました。
本当にガラスを割られたりしたのです。ドラマの中の出来事ではありませんでした。

祖母のところにも「娘を殺してほしくなかったら金をよこせ」などの電話が入り、困り果てた祖母が私に泣くように電話をしてきたことで、状況を私も知ることになりました。
こっそり母が住んでいたところに行ってみると、窓が割られている、あの時の衝撃は忘れることがないでしょう。
母は友人を頼って転々としたり、カラオケボックスで寝泊まりしたりするほとんどホームレスの状態となりました。
それでも、母は人のいいところがあったので友人たちができるだけ安く住める家を見つけてくれて、神社と寺の境目にあるおそらく昔は村の集会所だったところを借りることができそこで入院するまで暮らしていました。

お金のことに詳しくない母は借金の返済をずっとしていました。
自分の健康保険代も払わずに返済をしていたくらいです。
いまでこそ「借金の過払い」は社会で大きく取り上げられ、破産ではなく債務整理をする人が増えましたが、当時の認知度も低かったのです。
加えて母はたぶん何かしら発達障害系のしょうがいあるいは人格障害的なものを持っていたのでしょう、とにかく人の意見というものを聞かない人でしたので、ひたすら返済し続けていたのです。
後年癌が発覚して、しかも手術しなければならなくなってはじめて金銭的に深い問題が生じ、これまた祖母経由で相談が来て、私を含む祖母や叔母がいろいろ弁護士事務所に手続きをしたのでした。

本当にいろいろとものすごく大変だったのですが(介護だけでも大変なわけですが、そこに金銭的諸問題、生保の申請、まともに頭がはたらかない状態の人を説得するなどの問題が起きていた)、はっきり言って闇金問題がなければみんなが精神的に追い詰められることはなかったのです。

闇金、と聞くだけで私は嫌悪感で倒れそうになります。

キリストがそういう人を招いた、そういう人にも救いが必要だ、頭ではわかりますが、心には全く入っていきません。
もし目の前に母に対してひどいことをした取立人が赦しを願って来たら、私は関わりたくないので無視するんじゃないかと思います。
あるいは赦すふりをするかもしれません。
でも心の底ではゆるせないんじゃないかな。

私は全然キリストの愛を理解できません。
そういうことがこの礼拝で分かったのです。

でもそれでよかったのだと思います。

埋められないものを埋める方


私はいつでも埋められない欠点を抱えている。
私は心を落ち着けようとして瞑想をしても、ただのマインドフルネスでは行き詰ってしまいます。
埋められない欠点が大きすぎるのです。
赦せない、怒りを抑えられない、一人で瞑想していると、手放せない苦しみによる孤独感だけが増し、逆に人間社会から取り残されていくような気持に襲われていきます。
私にとっては、瞑想は瞑想ではなく「祈り」です。
常に隣に
そのままのあなたを愛している
といってくれるキリストの存在を感じながら自分の存在を味わわなければ自分の醜さに耐えられないのです。
そういう意味では、徴税人と同じくらい、救われなければいけない人なのだと思います。
たぶんこの先ずっと許せない思いは続いていくでしょう。
しかし、
「イエスが赦したんだから仕方ないや」
ぐらいにまでは思えるかもしれない。

私も含む嫌われ者が集った時に
ああ、この人も愛されてるんだな
・・・私自身がその人に対して好い感情を抱けなかったとしても、憎しみは持ちたくないなあと思ったのでした。

聖霊の導きと力を願ってもっと祈らなければならないと感じた礼拝でした。




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