2018/04/22

的を射る、的をはずす

2週間遅れくらいでブログを書いているような気がする私です。

先日ミサに行ったときお説教の中で
「罪とはヘブライ語で的を外すという意味です」
とのお言葉を聞いた。

神様の御心を外して生きることが罪かあ。
と思って、同じことをどこかで聞いたことがあるような気がした。

車の中でよく考えてあの本に出てきたとしか考えられないと思い家に帰って調べてみたらやっぱりそうだった。



ムンダカ・ウパニシャッドの中に
「弓は神聖なるOMであり矢は我々自身の魂である。ブラフマンが矢の向かう的、魂の向かう的である。矢が命中して魂と一体になるように、注意深い魂をブラフマンと合一せしめよ」
と書いてあるのだそう。
(私も抜粋のウパニシャッドを持っているのだけれど、ムンダカ・ウパニシャッドは入っていなくて原典を調べられなくて残念・・・)

キリスト教とヨガが相容れないといわれている根源的な部分なのだけれども。。。

罪の本来の意味が的をはずす、だとすると、人は神に向かって魂をとばそうとするところまでは一緒なのかなと。
そしてそれは人間にとってとても重要なことなのではないかと思った。

人が神になる(合一する)かどうかは別としても・・・
神の存在を求めることの大切さ
神は人に何を求めているのかを追求することはとても大事なことと感じたのだった。

キリスト教では間違いなくそれは愛であり
助け合うことであり
不足部分を補い合って
この世にあっては魂も物質も交換し、交わっていくことが大切なのではと私は個人的に思っている。
持っているものをシェアしあうことが、パンの奇跡の原点なのかとも思っている。

常に神に向かって魂を飛ばしていくこと。
それそうになった時、的に向えるよう吹いてくる風が聖霊なのかなと思ったりもしたのであった。

そんなこんなで読み始めたウパニシャッドが面白いです(笑)
ヨガスートラ、ギーター、ウパニシャッドがヨガで大事にされている意味わかってきた(今頃)
私の持っている本はものは修道院でいただいたもの、アマゾンでも売ってました。
スートラもギーターも入っているすぐれものです。




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