2018/01/02

どこを向いて祈っているか

Sinnerman
という名曲があります。



なんでこの曲を知ったかって、宝塚タグからお読みいただいている方はわかると思いますが、づかの名作ノバ・ボサ・ノバで、です。
ヅカは内容を変えていますが、もともとは「罪びと」って曲ですから重いです。
しかもその罪びとが逃げているんです。だからテンポ。

でもこのシナーマンは必死で神の方向を向こうとしている。

それが伝わってきて思わず一緒に祈りたくなってしまう曲なんですよねえ。

昨日は神の母聖マリアの祝日でした。
日本ではクリスマスと並んで守るべき祝日となっています。
(復活祭は必ず主日(日曜日=守るべき祝日)なので、要理にはあえて記載していないようです)

カトリックでは聖母信心がありますが、信仰とは違うんですね。
「この祈りを一緒にお祈りしてください」と神に取り次いでいただく方になっています。
聖母への祈りというのは聖母に祈りを叶えてもらうのではなくて、ともに祈ってもらうためのいのりなのです。

♪*:..:*♪*:..:*♪*:..:*♪*:..:*♪*:..:*♪

私はカトリックでしかも聖母の存在も気になって子どものころはプロテスタントの教会に行っていたにも関わらずカトリックになりました。
なんでかよくわからないんですけれど、自分にフィットした感じがあります。

私もロザリオはほぼ毎日祈っていますが、ロザリオ以外で聖母に祈ったことは実はあまりありません。
私にとってはやっぱりイエスこそが神である主ですし、私はどちらかといえば主に直接語り掛けてしまうので、聖母を通り越しちゃうんです^^;

私にとって聖母は私が見習いたいと常に願っている人としての模範。
聖母に祈るというよりも、憧れです。

ほんとはそうなりたい。

不可解なお告げでも受け入れられる人
いつも人を助けに行く人
貧乏で貧しい状況をも受け入れる人
不安も受け入れる人
子どもが理解不能なこと言ってもとりあえず受け入れて聞く人
子どもが罪びと呼ばわりされても離れない人
不可能な状況でもあきらめないで祈る人
(実は神だった)子どもが亡くなったとき、子どもの弟子たちと一緒に神に祈ることができる人。
神を信頼しているので恐れがない人。

ロザリオの祈りはこれらを教えてくれる・・・

けれども、聖母を神聖視しすぎるのはどうかなと私は思っているのです。
神は三位の神だけで私は十分です。
私を創り、私に働きかけ、わたしを赦してくださる方はこの三位の神だけですから。

自分の存在を確かめたくなった時、自分の行くべき方向が分からなくなった時
自分の罪を許してほしいとき

シナーマンのように必死に祈ります。
いまのところ神様は悪魔のところへ行ったらいいとは私にはおっしゃってないと思っています。

でも、神という存在と早めに交わることは大切かなとも感じています。
そのほうが楽になりますし、回心・・・改心ではなくて視点を変えるという意味・・・ができますからね。








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