2017/12/28

会話は文章で

私はよく主語を言わないで喋っている。「何が言いたいのかわからない」と家族に、とくに夫に言われる。昔は夫もひどかったものだが自分が気をつけているのであろう、最近はなくなり、努力している分私の至らなさが気になるらしい。

うるさいなあ、などと思いつつ、この年末、文章を喋ってもらえないことで私自身がイラッとした事案があった。

父は昔から喋るのが苦手だ。
それは分かっているが、私に対して決して「お願い」をしないことに気づいてしまった。
それはかなり昔からそうだ。
弟が小学校のとき、父親の意見ということで文章を求められた時も「文章は苦手だから何か
考えて」だった。
何でそれを思い出したかといえば、年賀状である。毎年作ってあげているし、大変な作業でもないんだけど、「今年も時間ある?」と聞いてきたまでは良かったんだが「じゃ、年賀状ここに置いとくから」以上終了。
お願いね、とか、言わない。
多分、私が賀状を作るのが当たり前で、できれば父が言葉にしなくても配慮して欲しい感が伝わってくる。私は父にとって使用人みたいなものであり、猫以下の存在なのである。

私は昔はものを言わない父が優しい人だと思っていた。
しかし長い間一緒に暮らすうち、言わないでもわかってあげなければならない、私にとってとてつもなく面倒な人だということがわかってきた。

自分がやった失敗も俺じゃないと言い張るし、意外ととんでもない頑固で自分は失敗しないと思っている上司にありがちな(笑)男だった。たしかに昔は失敗しなかったんだが、寄る年波には勝てず、俺の部屋には無いといいながら他者の洗濯物が見つかるのもしばしばだ…でもそれは加齢だ、仕方ないとだいぶ諦めもついた。

しかし、人にお願いする時はたとえ子どもであっても最後まで思いを文章にした方がいいし、過ちの事実がある時は誤った方がいい、と思う。無かったものが自分の部屋にあった、出てきたんだからいいだろう?と何も言わないのはやはり人として残念な気がしてならないのだ。

私も子どもに(子ども自身がすべき事でない)なにかをしてもらう時には「お願い〜❤️」というし、子どもはそれぞれ個性があって息子は敬語で「〇〇お願いします〜」と言ってくるし、娘は、たとえそれが親としての義務であること…弁当を作った時に絶対に「ありがとう」といい、苦手な掃除に関して「お母さんが掃除してくれるのは本当に感謝してる!」と事あるごとに言ってくれるので、まあ大変だけど頑張る気になれるというものだ。
(しかしながらやるべきことを子どもがやらない時には〇〇しろ!という命令する私である)
単語を並べるだけでは、心のやりとりができない。
言葉は少なくても文章をきちんと話すということはそれだけでマナーであり気持ちよくなるものだと思うので、私もこれからは主語を忘れないように、正しく日本語を話していきたいと思う。

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