2017/05/07

召命と道

 

本日は、カトリック教会では世界召命祈願の日でした。
それに伴い、本日は神父様のお説教が教皇様のメッセージにかえられました。


司祭修道召命だけでなく、
信徒の個有の召命にも深く関わりのあることだと思いました。

先日、聖人は一人で聖人になるのではなく、周りの人の働きもあって聖人になると聴いたと書きましたが、司祭もまた同じでしょう。

信徒一人一人の生き方が誰かに影響して、特別に召し出される方があらわれるのだと思っています。

私たち信徒は一人一人が宣教者だという自覚、
たとえ自分の弱さを痛感し失望していても、わたしたちは無力感に襲われたり、悲観主義に陥ったりせずに神を仰ぎ見るべきです。悲観主義は、わたしたちを単調で色あせた生活の消極的な傍観者にするだけです。恐れてはなりません。神ご自身がわたしたちの「汚れた唇」を清めに来られ、わたしたちを宣教にふさわしい者にしてくださいます。」
この部分を忘れずに生きて生きたいと思います。

イエス様は私たちとともに歩んでくださる…
というより歩む道そのもの。
寄り添い離れることはない。

困難に思える道にも主の愛とみわざがいつも「あり」ます。
召命のためにも、神様に向かい合うためにも
道を大切に
道は常にあり開かれていることを確信して歩んでまいりたいと思います。

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