2018/01/21

疲れ・憑かれ・浸かれ!

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最近温冷交代浴にハマっているわたくしです。
娘に話したら「かーさん、そんなファビュラスなことしてたの⁉️」と言われました。お主知っておるなーと思っちゃいましたよ。

はじめたきっかけは叶美香さんのインスタを読んだことです。冬であのお衣装で寒くないかとの問いに、サウナと氷水で鍛えている旨が書かれていました。(真似しないでねとも!)
私、すごい冷え性でしたし、真冬に母娘で出歩くと「おかーさんと娘さんの服を見ていると、同じ土地を歩いているようには見えないんだけど」と言われるほどでした。
ヨガで多少まともになったとはいえ、まだまだ…と思っていたところにこの情報。無理せずやってみようと思い少しずつはじめたのでした。

最初は水はぬるま湯で脚部だけでしたが、今では水を顔からバシャーとかけても大丈夫、というかやらないと物足りなくなってしまった。それにやはりシャワーだけで出て来てしまうと後から寒いです…

冷え性は改善されてきたし(畑も箱根も今のところ楽勝)、謎の頭痛もおきなくなり、疲れにくくなって驚いています。

まず入浴、が良いのでしょう。
入浴だけだと副交感神経に作用しますが、私のような気をつけないと抑うつ感が出て来やすいタイプは水で交感神経を刺激するのが良かったのかもしれません。

疲れというのは肉体からも精神からも来る。
それをどう取り除いていくか、自分に合う方法をもっと研究し試してみることが推奨されてもいいように思います。知識はあっても実行できない方が多いのはとても残念なことだと思います。

このブログのお題に「憑かれ」という言葉を使いましたが、疲れると本来の自分の考え方や意思を貫ききれず、マイナスの考え方が浮かんで来たりします。最近、松岡先生が心理学でいう憑依について書かれていますが、親や影響力の強い人の良くない価値観を自分の生き方として捉えてしまい、まさに自分でない何者かの考えに「憑かれ」てしまうことも、精神的な疲れになって行くと思います。

入浴は肉体にも精神にも作用します。
(普通は交代浴はやりすぎかもしれませんが、私にはとてもあっていましたし、自分で驚くほどです。)
思えば人は生命の存在の瞬間から10ヶ月羊水という安心できる水の中にいるわけですから、温水に浸かるということは本能的な安心感を得ることができるのかもしれません。

疲れたり、憑かれたりした時には、まずテルマエ!
自分のペースで自分を回復させることが、他者への愛につながると私は思っています。疲れていたら行動できないですし、思うように体が動かずイライラしたりしますから。

聖書で自分のように隣人を愛しなさいとよく言ったものだといつも思います。
いつも隣人に対してフラットでいられるような環境づくりを自分に課していくことは他者を愛することにつながっているのだと私は思っています。

疲れたらまず自分を癒し回復させましょう。



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2018/01/11

嘘も病もあるところ、そこは…

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本日は青山学院大学相模原キャンパスに行って参りました。

祝駅伝優勝のミーハーでとか
息子絡みで呼び出しされたとかそういうのではありません。

どっちもあり得そうだけど( ̄▽ ̄)

息子は青山キャンパスなのでそちらには何度も…年末もメサイアを聞きに行っているのですが、何年も住んでいるのに相模原キャンパスは初めてでした。(資格試験会場も私はなぜか桜美林ばかり…)

今日は礼拝に出席して参りました。
(ミサだとあずかるって言うけれど、礼拝は何て言うのだろう…)
以前から気になりお会いしたいと思っていた、関野和寛先生のメッセージがあるとの情報をツイッターで知り、出かけて参りました。

よく分からずにチャペルのある建物の中に入ると、目の前で関野先生がおそらく論文を書かれている最中…にもかかわらず声をかけてしまいました(すみません)。

自分がカトリック信徒であることや、自分の教会に今年一人も求道者がいないこと、教会に魅力がないのかもしれないと思っているが、教会外の方が何を求めていらっしゃるか分からなくなってしまっている私の現状や、教会に訪れる方の中には心のバランスを崩されて攻撃的になる方もいらっしゃり一人で抱えることが大変であること、だからこそ、養成をきちんとして、一対一で助けを求める方と関わったとしてもチームで問題を共有するステファンミニストリーに興味があること…など、を短時間の間に一方的に喋り、全部聞いていただき(ああ本当にすみません💦)、先生から現在の東京ルーテル教会の状況や、個人でなく教会として助けが必要な方に対する手伝いをし、会員同士で助け合うことが大切であることをお聞きできて、礼拝前から充実した時間をすごさせていただきました。

礼拝のメッセージも直球でハートにどストライクでした。
先生のかつての強烈な体験を話されたあと、今日の聖句、ローマ人への手紙5章7-8節に言及されました。

嘘もある、病もある、パウロだってクリスチャンを殺してた。でもそのパウロが「そんな人間のためにイエスは先に死んでくださった」って書いてるんだよ。

聞くのに夢中でメモの用意を忘れてしまって、大事なワードがもう一つあったのに思い出せないのですが…
教会の中にもこういうことがあることをはっきりおっしゃられていたのも印象的でした。

私、自分の子にはよく言うのです「病人や罪びとを招くためにジーザスはいらしたんだからね、教会が罪びとと病人がいっぱいいて当たり前w教会は聖人の集いではないぞよ」

なので、牧師先生がそれに近いことをおっしゃられて驚いたと同時に嬉しくもありました。

そして、チャペルの語源がマントだったというお話、私は初耳でした!
お話を伺っていて思ったのは、私たちは弱さをいちぢくの葉で隠すのではなく、私たちは弱さを覆うイエスの贖いというマントの下にあるのだから安心して安らいでいれば良いのだということでした。

マントの下にはさまざまな人がひしめきあって、大変なこともあるかもしれない。
それでも根気強く聖霊の賜物を願い成長させていただきたいとも思いました。

自分自身、今、思い切って教会に飛び込めずにいるのかな、などとも思いました。
それはやはり私自身が傷ついた記憶があるからでもあり、相手を赦していないことが原因なのでしょう。
恐れを抱いたとしても、恐れを凌駕する信仰を願いたいとも感じた礼拝でした。

関野先生!ありがとうございました。


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