2018/06/16

怒りに寄り添う神

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このところずっとティク・ナット・ハンの呼吸法というか瞑想をしている。

ティーチャー顔してレッスンはしているけれど、こういうことをせざるを得ないくらい、実は色々内面では起こっているからこそ、なんとかせねばと思って足掻いている。

瞑想をしてわかったことは、瞑想で何とかなる自分と、全くどうにもならない自分がいるということだった。

自力って何?
無理だ、私には。
そういう局面にぶつかった。
味方によっては状況が悪化したとも言えるくらいだった。
閉じ込めて押し込めて何とか平気な顔をしていたけれど、私の中の怒りは限界に達しているのだった。それを冷静に見つめることができないと私は気づいた。

でもだからこそ、私にはジーザスが必要だと改めてわかった。自分でさえもゆるせない自分をただジーザスだけがゆるせるのだ。

私が自分を見失う時もジーザスはずっと寄り添ってくださる。
自力でどうにもならなず喘ぐ私に大丈夫だよと囁いてくださる。

それに気づいて私が呼吸法をやめたかといえばそうではない。
私にとって怒りに気づくことは
私の隣のジーザスに気づけるチャンスだから。

そういうことを色々考えていくうちに、最近は鎌倉仏教の発生について調べたくなってしまった。
不穏な時代、修行者たちは、普通の人びとにどうやったら心穏やか生きることができるか味わってほしいと願ったのだと思う。
自力の禅宗、そして念仏、お題目を唱える他力の教えが出てきて広がった。
どちらも「自己を滅する」方法であることだけは確かだ。
そこに救いの確信があって「唱える」のが他力ということなのだろう。

そんな風に考えていくと、それは宗教をこえていく。
私はどんなに呼吸法をしても、弱い私はジーザス十字架に行き着いてしまう。
「大丈夫だよ、お前の怒りという罪については俺がもう代わりに架刑で被ってやってるんだから」

解決はしないのだけど、この怒りに一人で向き合わなくてもいいのだというだけで心が少しだけ落ち着く私である。

人間はすぐには変わらない。
共にいてくださるジーザスと
一呼吸ごとにプネウマを味わい
昨日より今日1ミリでも心が開かれることを願っている。

2018/06/15

蛍来い

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昨夕道保川公園に行ってまいりました。
今年ですと6月17日まで夕方20:45まで開園されていて蛍観賞が出来るのです。

私自身は…先日大叔母のことをブログに書きましたが、大叔母の家の前の田んぼ(今は普通に家が建っている)にたくさん蛍がいて、竹箒をふわっと横に振ると蛍が竹箒の中に入って竹箒が光る、というような、今では考えにくい遊びをした経験があるのであまり蛍に執着がありませんでした。

この春森林資源科学に進学した娘が、大学生活と共に自然の中に出て行くようになり、今度もサークルで蛍観賞会があると家で話してくれました。その時夫が

「いーなー。俺ホタルみたことない。」

と私にとっては仰天の発言をしました。
夫と私は同い年ですし、夫は私なんかよりずっと田舎に住んでいたはず…
市内で見れなくてもやはりおばさんの家に行けば見れたのでは?と思ったのですが、当時は公害全盛期で蛍も激減していたようです。
(余談ですが、公害といえば、今は綺麗な多摩川も、当時は泡がブクブクたった恐ろしい川でした。そんな中でも鯉は泳いでいて、生命力の強さに驚いてもいた私です。)

そんなわけで、車で行ける距離にある道保川公園に連れて行ったのです。
駐車場に車を入れたあと、間違って入り口と反対方面に進んで行ったのですが、車道添いから園内を見るとたくさんのホタルが観れるのです。
驚きました。

その後園内に入りましたが、外から見た方がたくさんの蛍を見ることができました。
それでも、園内はかなり近くまでホタルが寄ってきますからそれはそれで幻想的です。

私の小さい頃の記憶よりずっと明るくも感じました。
なぜだろうと思ったのですが、私がホタルを見た環境は家がある程度ある場所で街頭もありましたから明るかったのだと思います。

街頭もなくライティングを限りなく落とした中での蛍観賞は、転ばぬように歩くのも瞑想、蛍に目を凝らすのも瞑想でした。

今日を入れてあと3日です。
お近くでご興味ある方はお出かけになってはいかがでしょうか。
 
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