2018/12/18

キリスト教入門式に参加して

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昨日、キリスト教入門式がありました。
係りでもあるので、教会に出向きました。
私がこの役を担当し始めてから初めての事でした。
ですが、本来カトリックの成人の入信のプロセスには3段階があるのだそうです。

  1. 入門式
  2. 洗礼志願式
  3. 入信の秘跡の祭儀(洗礼)
私は③しかやりませんでしたよ。
でも係りの者になってからは②には毎年参加しています。
教区合同でするので圧巻です。
でも先にも書いたように入門式は初めてでした。

入門式では式次第にそって、何を求めているのかを宣言して、十字架が授与され、司祭と共同体のメンバーから額に十字のしるしを受けます。
その後みことばの祭儀があり、そのなかで主の祈りの授与がある、といった流れです。


昨日はみことばの祭儀での神父様のお説教がとても深く残りました。
お説教だったかな?その後のお話だったかな?

私たちは先日の主日のパウロの書簡にあったことばの通り、広い心で互いを受け入れなければなりません。
熱心さのあまり、何が正しいか、ミサに来なければいけないとか、祈りが足りないとか、行動が足りていないとか人を非難することは簡単にできるでしょう。
しかし、「広い心」の本来の意味は、ギリシア語で「エピエイケイア」つまり譲ることを表します。
正しさ、熱心さ、どれだけ祈っているか、愛の行為をどれだけしたかを見るよりもその人の置かれた立場を思いやってあげることのほうが大事なのです。 

キリスト者として熱心になればなるほど・・・
あるいはキリスト者でなくても、豊かになればなるほど、「譲る心」というものを人間は忘れがちです。

イエスが生まれた当時は、律法(ユダヤ教の掟)を守れない人は罪びととみなされました。正しさとは律法を守ることでした。
でも、ヨハネ、そしてイエスはそれでは不十分としました。
律法は神様から与えられたものなのでそれを守ることは大事ではあっても~例えば絶対に安息日を守ったり礼拝に出たり、決められた捧げものを行うなど~、職業上、健康上、置かれた身分などで律法を守りたくても守れない人が当時はたくさんいました。

ヨハネはその守れない人たちに向かってどうしたらいいかを説いています。
(待降節第三主日福音書)
すなわち、暴力や不正をせずに、今の状況下でまじめに生きるよう諭しています。
イエスはさらに自ら安息日を破ってまで、人を癒す愛の行為を行ったりもしています。

教会の教えでガチガチになって、「愛すること、ゆるすこと」をしなくなってしまえば、もうそれはキリストの教えを生きていることにはなりません。

エピエイケイアはアリストテレスが使っていた言葉だそうです(今日新たに調べなおした)。愛の側によった正義ともいえるらしいです。
そうとらえると、イエスの教えがもう少しわかりやすくなってきます。
正義は軸においておくが、愛の側に寄って生きることが大切なのです。

現代社会の中の正義については、サンデル教授もたびたび討論でとりあげています。
難民問題、国粋主義の問題などは正義が過剰に働いている状態ともいえます。
こんな時代だからこそクリスチャンに限らず一人一人が自覚をもって「エピエイケイア」を生きることが望ましいのではないか?
そしてそれを生き、つたえることがキリスト者の使命なのではないか?

入門式を通して、私自身の召命を与えられた気もしたのでした。


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2018/12/16

ウィーンフィルの演奏会に行った話

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夫がチケットを取ってしまったので行ってきました。
なんて言ったら罰が当たりそう。
ウィーンフィルのプログラムAに行ってきました。
ピアニストのラン・ラン氏の演奏を聴く目的もありました。
そして多分ブルックナーでは私が機嫌悪くなりそうだと判断もしたのだと思われます。
浅はかな音楽好きにはブルックナーはしんどい。

ということで、プログラムAも寝てしまうのではないかというような穏やかな曲が連続して選曲されていて、P席で寝たらどうしようと危惧していましたが、そこはやはりウィーンフィルなのと、皇太子殿下がよく見える席だったのと、極めつけはホルンが爆音で聞こえる席でしたので全然眠くならず、どころかやはりウィーンフィルってすばらしい!ラン・ランって思った以上にオケに沿うようなやさしいピアニストだったんだ!とかなり感激して帰ってまいりました。

ブラームスの交響曲2番はブラームスの交響曲の中で唯一メランコ感がない曲なので、逆に私はなじみが浅いのですが(どーゆーこと?)ウィーンフィルの金管軍のクオリティーが素晴らしいのと、爆音で聞こえはするものの「牧歌的」という表現はちゃんと心に届き響くのですよ。それが素敵で。

最近私は少しクラッシックから離れ気味で、どちらかというと中世だったりケルトだったりグレゴリオ聖歌だったりというクラシックよりも前のジャンルを聞くことが多くなってしまったのですが、久々に聞くクラシックも「ああ良いなーすばらしいなー」と思ったのでした。ブラームス先生の音楽は骨格がしっかりしているだけでなく、骨そのものも太い、それでいて関節が柔軟でいい筋肉がのっている音楽だななどと感じた次第です。(表現がヨガ風だよね・・・音楽としてパーフェクトだって言いたい)それをウィーンフィルが弾くのですから素晴らしい演奏会で当たり前だったわけなんですけど。

さてこの演奏会には皇太子殿下がいらしていました。
以前に今井信子さんの演奏会の時も最初から最後までお聞きになられていましたが、今回もでした。きっとおいそがしかったでしょうに、熱心に聞かれる姿に本当に音楽がおすきなのだなあ、と思ったのでした。

殿下がいらしていたからかフライング拍手がなかったのもよかったです。ほんと。

そして演奏会が終わり団員さんが本当に全員舞台袖に入られるのを確認されるまでずっと拍手を続け、そしてお立ちになる姿には、オーディエンスとしての素晴らしいお手本であるなと感じました。もちろんご自分がお弾きにもなるし、いつもは見送られる立場というのもあるのでしょうが、最近は余韻を味わうことなく席を立つオーディエンスが多いので、殿下の愛情を感じる態度には(本当に楽しそう嬉しそうに見送っていらっしゃった)うれしい気持ちになりました。
殿下のようなオーディエンスでありたいなあと心から思いました。

よい音楽は、演奏者の心とオーディエンスの心を結ぶだけでなく、オーディエンス同士の心も結ぶところがあると感じた宵でした。



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